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HOMEWeb生きるWeb生きる(年表)遠藤 大輔(宮城県東松島市)

レッツゴーマイタウン

宮城県東松島市 遠藤大輔

 未曾有の震災から3年ほど経ったある日、東松島の私の勤務先に一本の電話が鳴り響いた。電話の主はマスコミ会社だったと記憶している。 「エンダイさん(注1)が運営しているブログにある旧野蒜小学校の体育館の写真をお借りすることはできますか」と言われたものの、その写真はインターネット辞典から引用した画像だったので、丁重にお断りした。 そして、そのときに私のブログはいろんな人に読まれているのかと感じた瞬間でもあった。

 私が運営していたブログ「ダイスポ!!」(某スポーツ新聞社とは無関係、注2)は、私が住んでいる宮城県東松島に来てくれた全国、全世界のボランティアの方々に御礼も兼ねて、主に今の東松島の現状報告と市の地域イベント情報を綴るものであった。 週に1、2度のペースで更新を続けたが、仕事が忙しくなり、今から2年前に更新を止めた。それでも今もなお1日平均1、2件のアクセスがある。 私はこのブログを通じて、東松島の復興状況や市民の生活ぶりを、遠方からはるばる応援に駆けつけてくれたボランティアの方々に報告する役目を担いたいと思って始めた。 そしてまた東松島に足を運んでもらいたい、そういう思いでブログを更新し続けていた。

 すると、ブログの更新を続けていくうちに、私のブログを見た地元の友人から「東松島ってこれだけのイベントやっているんだ、今度自分も参加してみたい」という感想をもらうようになった。 さらには他の知人からも私のブログを見て行動を起こす人が増え、東松島を元気にしていこうという形が見えてきたのである。 今では、市内各地で農産物や手づくりものが集まる「マルシェ」が開催されたり、季節モノとしても「大塩地区ふれあい花まつり」、「とっておきの音楽祭inひがしまつしま」、「市民文化祭」、「野蒜海岸初日の出イベント」など数多くのイベントが開催されている。 そこに多数の市民が参加しており、東松島市民が中心となって町の復興を目指そうと頑張っている様子が伺える。

 さて、この手記の執筆をお願いされ、「生きる」とはどういうことなのかと原稿締め切りを伸ばしてまで考えてみたが、旧野蒜小学校の体育館の写真(注3)を改めて見返すと、想像するに絶えない。 野蒜地区に住んでいた人は、避難所が旧野蒜小学校に指定されていたため、小学校の体育館に逃げ込み、そこで大多数の住民が大津波にさらわれてしまったのである。 その後、生き残った人々による長い長い避難生活が始まり、住民同士で励まし合い、寄り添い、助け合いながら生活をしていったという話を後で聞いた。 みんなで声を掛け合いながら、そして支援をしてくれる方々にお礼を言いながら、普通の生活を取り戻すために、新たな一歩を踏み出していったのである。人が「生きる」ためには、助け合いの精神がないと難しいと私は思う。 そんな避難生活をともにし、経験した市民が多いからこそ、いろんなイベントが各地区で起こり、それが人と人とをつなげるツールになっていったのである。

 これを読んでいる皆さんの住んでいる地域にも、いつの日も必ずイベントが開催されていると思う。 市町村単位で開催されているイベントはもちろんのこと、それがどんなに小さな集落のイベントであったとしても、イベントは人と人との交流の場であり、楽しい場所であるはずである。 イベントといってもいろんなテーマのイベントがあって、それがお茶会であったり、スポーツであったり、テーブルゲームであったりと様々であろう。 市町村や地域のイベントに参加したことが無いよという人は、まずは自分が参加しやすい興味のある地域のイベントに参加してみるといい。参加しなくても行ってみるだけでもいい。 そうすると自分が住んでいる地域にはどういう人が住んでいて、どういうモノがあるのかというのを知ることができるからである。 そしてそこで出会う人と交流を深めることができれば、急に起こりうる天災のときでも、そこで出会った人と声を掛け合い、助け合いながら生きていくことができるはずである。 私は時間が許されれば、どういう形でもいいから、我が町の状況を報告し、イベントの紹介をしていこうと思っている。それで人と人とのつながりのお手伝いに一役買えれば最高である。

【注釈】
1) ブログでは「エンダイ」という名前で書いていた。名前の由来は本名の略称。
2) 現在は「ダイスポ!リターンズ」でログが残っている
3) ダイスポ!リターンズ「18ヶ月後の我が町」で紹介している

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